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夏の大会が終わって3年生が引退すると新チームとしての活動が始まる。1年生はこの時点で初めて希望する守備位置に就いて練習することができた。我が校は基本的には自分の希望通りの守備位置に就くことができた。その後は選手の適正を見て、監督が守備位置の変更をすることもあった。

俺はショートを選んだ。理由は中学までは外野手をしていたため、今度は別のポジションをやってみたかったということ。もう一つは単純にかっこいいと思ったから。しかし、練習していてもすべてがうまくいかない。当たり前だ、ショートを含めた内野手のプレーは複雑で、ゴロ・フライの処理はもちろん、ベースカバー・牽制プレー・挟殺プレー・中継プレーに伴う動き方・サインプレーと多種多様な仕事がある。もともと外野手でボーっと突っ立ってた(もちろん外野手もやることはいろいろあるけど。)俺にとっては少々どころかかなり荷が重かった。そういうわけで当然ながら先輩や監督には毎日怒られっ放し。しかも、何回やっても上手く出来ない。覚えが悪いことを初めて痛感したのもこの頃だった。

俺は高校に入ってからショートをやり始め、その後あまりにもヘタクソ過ぎて2年生の夏休みにセカンドに移った。移った先がセカンドだった理由は、監督の命令。いまさらまったく違う守備位置ができるわけもないし。ショートとセカンドはやることは大きくは変わらない。セカンドはショートよりも一塁に近いので肩が弱い俺にはむしろ都合が良かった。難しいことといえば、ショートは強い打球が多いのに対して、セカンドは当たり損ねの打球が多いこと。慣れるまでにかなり時間がかかったのは言うまでもない・・・。

しかし、いろいろなポジションをやることはいい経験だと思う。他の守備位置の人の気持ちになって考えることが出来るから。いろいろなことにチャレンジして、いろいろな方向から物を見ることができるようになるということ。俺はマイナスな要因からこのような事態に追い込まれてしまったが、これは逆に考えればチャンスでもあるんだと思った。そうでも思わないとやってられないというのもあるけど。そしてまた1から練習に励んだ。
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昔から野球界で伝統的に言われてきたこと。上からたたけ。誰でも一度は言われたことがあるのではないだろうか。しかし、これは良くない表現だ。ストレートだとほぼ直線に打者に向かってくるように見える。それでも重力で少し落ちながら向かってくる。変化球ならストレートより遅いので、なおさら落ちて向かってくる。落ちて向かってくる球に純粋に上から当てようとすると接点が一箇所にしかならない。すなわちバットをボールにぶつけるのがとても難しくなる。そして、上から叩くのだから当然ゴロがかなり多くなる。低めなら球に当てるのも大変だ。何よりもとにかく打球が上がらなくなる。

ではどうすればよいのか。それはスイングをするときに両肩を結んだ線と平行にバットスイングすることだけ意識すればよい。低目を打つ時は多少身体を傾けるような姿勢になるだろう。これが気持ちは上から叩くのだけど、実際はボールに線で対応するレベルスイングである。ただ、低目のボールを打つ時は気持ちすくい上げるイメージで振るとよい。緩い変化球も同様だ。そうすると打球が上がるようになる。逆に高いボールを打つ時は気持ち上からバットをかぶせるイメージで振るとよい。高目のボールを振る時はバットが下から出やすくなる。力任せにいくとなおさらそうなってしまう。だからこのくらいの気持ちで振るとちょうどよい。

それと、バットを最短距離で出すこと。よくバットを内側から出すといわれる。これは最短距離で出さないといわゆるドアスイングと言われるものになってしまうからだ。バットが遠回りして出てくるドアスイングは当然スイングに余分な時間がかかってしまい、その結果ボールに当たる確立が低くなってしまうのだ。だから、最短距離でバットを出すことができれば、短い時間でボールを打つことができるので、長い時間ボールを見てからスイングを始めることができる。これが俺の打撃理論。他にもいろいろあるにはあるんだけど、あまり深く考え過ぎずにこのようなことをほんの少し意識して、あとはボールをよく見て打つだけ。あれこれ考えすぎて失敗していた人も結構見てきたので。最後に俺は打てるんだと思い込むこと。もちろん真面目な考えです(笑)。
バッティングは実に奥の深いものだと思う。何故かと言うと、3割の成功で優秀なバッターだと言われるからだ。たとえ凡フライを打ち上げてしまっても誰もいないところに落ちた時や、ボテボテのゴロを打っても内野を抜けたり、一塁でセーフになった時もここでいう成功。逆に、ジャストミートしても野手の守備範囲内ならここでいう失敗。運に左右される場面も多々ある。そして、送りバント・犠牲フライ・フォアボール・デッドボールなどの貢献は打率の計算には含まれないので、ここでいう成功でも失敗でもない。来たボールをただ打てばいいのだけど、これがなかなか難しい。状況を考えたバッティングも必要だ。俺は自分のことで精一杯でストライクゾーンの来たボールを打つ以外のことは何も考えられなかったけど。

俺は高校になってから左打ちに変更した。中学までは右打ちだった。右投げ左打ち。イチローや松井秀喜と同じ。何故左バッターになったかというと、左バッターは一塁ベースに1,2歩近いからである。この点は明らかに左バッターが100%有利だ。足が遅い俺にもね。それと、高校では何か新しいことを試してみたかったから。スイッチヒッター(両打ち)も考えたけど、二兎追うものは何とやらと言うので、左打ち一本に絞った。2倍バットを振り込まないといけないからね。それと最後に、単純にかっこいいと思ったから(笑)。

結果的には左打ちにしたのは正解だった。うちの野球部は偶然にも左バッターの割合が少ないチームだったから。貴重なバッターだったかどうかは分からないけど(笑)。
 夏の甲子園で初優勝した早稲田実業のエース、斎藤佑樹投手が試合中に青いタオルハンカチで汗をぬぐっていたことからハンカチ王子と言われるようになった。というより、マスコミが勝手に付けただけだが。

 何だよハンカチ王子ってとか言う人もいるけど、俺はかなり好感が持てることだと思う。上品でいいじゃない。野球のむさくるしいイメージ(?)が払拭される感じもするし。だって、高校野球ってもちろんさわやか・青春といういいイメージもあるけど、やっぱりキツい汚い臭いといういわゆる3Kイメージも正直言ってかなりあるから。でもまあ、キツいのはしょうがないし、どうしようもないな(笑)。

 それにこういうことがきっかけで高校野球に関心を持って、そして野球が好きになる人もいるだろうし。プロ野球が現在こんな状況だし、いいことだと思うな〜。女性ファンもたくさんいたし(笑)。
 近年のプロ野球ではファッションが問題になっている。元日本ハムの新庄のことだけど、アンダーシャツの首の部分がになっていることについての騒動。本人は事前に許可も取っており、全く落ち度はない。マスコミに大きく取り上げられたから、ちょっとした騒動になってしまっただけ。

 この新庄の行動はもちろんファンサービスなのだけど、はっきりしない審判団や旧態依然とした野球界に対する新庄なりの反抗の意味もあると俺は思う。「連盟がどうとか、マナーがどうとか、そういうものはおれにとって問題でないけれど、選手が新しいことや、いろんなことにトライする気持ちがないことに寂しさを感じる。ファンのためには、選手個々がいろんなことを最初にやる勇気を持ってほしい」という新庄のコメント。他の選手に対してのコメントだけど、審判団や連盟なんか気にせずにいろいろやってみようぜという強い気持ちが感じられる。この後にも古巣阪神との交流戦の試合前に阪神の縦縞のユニフォームを着て登場とまだまだいろいろ見せてくれそうだ。ちなみにこれも後から禁止された。

 規定がないので違反ではないが、マナーの問題って何?襟付きはマナーが悪いという概念はどこから生まれたの?という感じだ。かと思えば、今度は配色を問題視するし。訳分からん。

 プロではあくまで審判団が判断するようだけど、高校野球の場合は当然、連盟だ。今までにもいろいろあったな。全ての都道府県ではなく、一部の地域のみだったかもしれないけど、最近では眉毛を整えるのを禁止とか、マネージャーのルーズソックス禁止とか。意味分からん。

 長髪、茶髪、ヒゲもダメ。品位とか高校生らしさって何?所詮はお偉いさんたちの自己満足だろ。
俺の中学生の頃の野球部について書こうと思う。中学生が野球をやる場合は2通りある。1つはシニアリーグやボーイズリーグと言われるグラブチーム。学校とは一切関係なく、地域ごとにあるチームである。少年野球チームと同じようなものと考えてよい。使うボールはプロや高校や大学などで使う硬球。もう1つは中学校の野球部。使うボールは軟球。少年野球や草野球で使うボールだ。

俺は中学校の野球部に入った。理由はそれまで少年野球やリトルリーグでの経験がないいわゆる全くの未経験者であり、クラブチームにはついていけないと思ったし、学校の野球部で活動するのが自然だと思ったから。一般的にクラブチームのほうが学校の野球部よりずっとレベルが高い。というより、クラブチームはある程度の実力があり、自分にそこそこの自信がある、または試してみたいと思うような人しか行かないという雰囲気があるといった感じかな。

俺の入った中学校の野球部はどこにでもある普通の中学校の野球部だった。特に野球に力を入れているわけでもなく、顧問が2人いて、部員が1学年10人くらいで、毎日放課後に活動して、休日は試合といった感じ。のほほんとした感じで、悪く言ってしまえば馴れ合いのお遊び野球という感じかな。でも、監督は怖かったな。ミスったら速攻でキレてくるし。幸いなことに暴力は一切してこなかったけど。それと、この監督は自身の学生時代に野球を経験している先生だった。いかにも野球をやってきたという感じで体格もよく、ノックも上手くてパワフルだった。でも、指導法としては、怒るばっかりで、具体的な指導をあまりすることはなかった。メニューを淡々とこなすだけ。俺みたいな未経験者にはかなり困惑させられる監督だった。怒られるけど、どうすればいいか分からない。そしてミスして、また怒られる。これが延々と続いた。

俺は中学で野球部に入るのに実は少し迷った。ついていけるのかなと思ったし、同じクラスにいた野球部に入ろうとしている経験者の人には野球部はかなり厳しいよって言われたし。でも、入ってみなければ分からないと思い、とりあえず入ってみることにした。それまで特に何かに強く打ち込めるものもなかった中で(12,3歳のガキは大体そうだと思うけど(笑)。)、野球というものに出会って、強く興味を持ち始めたところだったので、とにかく野球がやりたいという気持ちが大きかったのが一番だけど。今振り返ってみると、この時に思い切って飛び込んで本当に良かったと改めて思う。
俺が野球を始めた頃は現在よりももっと野球の人気はあった。というか盛り上がっていたな。サッカーはまだJリーグもなかったし、ライバルのスポーツがなかったのもあるのかな。しかし、近年は野球への関心が薄れている状況。特に男の人はみんなといっていいほど野球に興味があり、夜はTVでプロ野球中継を見るのが日課という人も多かったと思う。

近年、いまいち盛り上がりに欠ける理由はFA導入で選手が移籍することがとても簡単になったことと、球団が積極的により良いチームづくりをしてこなかったことだと俺は思う。細かく言えばもっといろいろあるけど。FAを導入したこと自体は悪いことではない。選手もより高く評価してくれるチームに移ったりもしたいだろう。しかし、それは同時に主力選手がその球団からいなくなるということでもある。そうすると同時にファンの球団に対する愛着が薄れていくのではないだろうか。その時、離れかけたファンを取り戻すために球団はそれをカバーするさまざまなファンサービスを編み出さなくてはいけないのだ。しかし、それを積極的にやった球団はほとんどなかった。今までのプロ野球って試合やってるから見に来てっていうある意味、受け身のスタイルだったから。昔はそれでもプロ野球は人気があったけど、今はもうそんなことではファンは球場に来ない。

しかし、ここ数年で転機が訪れた。近鉄とオリックスの合併。楽天の加入。そしてセパ交流戦。クライマックスシリーズも始めた。もうこれまで通りのことをやっていたらますますプロ野球は衰退していくという危機感の表れだと思う。球団が消滅したり、合併したり、所有する会社が変わったり、参入したりすることもこれからは普通の出来事になってくのかもしれない。

野球をずっとやっていた俺としても野球は人気があったほうがいいと思う。1人でも多くの人に野球を見てもらい、好きになって欲しい。だって最近は女性に野球の話をしても全然分からないって言うし・・・(笑)。
 選手とマネージャーが付き合うことについて。しかし、個人的にはあまりお勧めしない。こういう言い方だと俺の経験かと思うかもしれないけど、俺にはそういう経験はないし、そんな余裕もなかった。自分が野球をするので精一杯だったので。

 上手くいっていれば別に何も問題はない。でも、別れてしまったらさすがに周りも気を遣うだろう。一緒に帰ったりしなくなるわけだから。そして、チームの中ではあいつの前ではあのマネージャーのことは禁句にしようなというような空気になったりする。下手すると恋愛ネタすら御法度になったりするかも(笑)。とにかく少なからず気を遣うことにはなると思う。俺はそういうのが嫌だからお勧めしないと言ったのだ。何しろ四六時中いっしょにいる集団だから。でも、それだけに選手とマネージャーが付き合うケース、これが結構多い。うーん、何とも言えない・・・。俺の見てきた中でも結構いたな。まあ、うまくやってくれ、頼むから。いや、お願いします(笑)。
 中学までは軟式野球だったので道具も軟式用だったが、高校は硬式野球なので道具も硬式用を用意しなくてはいけない。ボールは硬いし重い(「硬球」参照)。バットも重くなる。最初はバットに振らされてた。いや、最後までかも(笑)。グローブは軟式に比べて革が厚いし上質。新しいものを買うと最初は革が硬くて開閉し辛いので実践で使えるまでに柔らかくするのに結構時間がかかる。キャッチャーのレガース・プロテクター・マスクやヘルメットも硬球が当たっても大丈夫な軟式用よりも強度がある材質でできている。しかし、ひとつ言っておくと、当たったらやっぱりメチャクチャ痛い(笑)。もちろん値段は軟式用よりもかなり高い。
いよいよ最後の春の大会。夏の大会の前の最後の公式戦。3年生にとっては重要な試合である。この大会の時期にはチームとしてはほぼ完成された形になっていないと夏の大会ではなかなか勝ち抜けないからだ。監督からすると夏の大会とある程度同じように勝つための采配をしていく場にもなる。これまでと同様に4チームでの総当たり戦をして、勝ち進めばその後にトーナメントへという流れ。

そして大会が始まった。チームは苦戦の末、トーナメントには進出できなかった。チームの状態も今ひとつだった。これからの伸びに期待したいといった感じか。俺の出場機会はまたしてもゼロ(笑)。ここまでいろいろあって、1年生からずっと公式戦に1度も出ていません。

そして、監督が異動の為、この春の大会が最後の采配になる。チームの中では監督のためにも勝ち進もうと言っていたが、俺は多分この大会にも出場はできないと思っていたので何とも言えない疎外感みたいなものを感じた。

俺は監督がこの大会が最後の指揮だということは少し前から知っていた。このことを知った俺はどういうことを考えたか。他のコーナーでも触れたが、俺はこの時点で他の選手より能力が多少は劣っていたけど、著しくは劣っていなかった。こういう場合、多少のチャンス(試合への出場機会。代打や代走や守備固めなどなど。)がもらえるのが普通だ。しかし、俺は秋以降ほとんどそのチャンスすらもらえなかったこと。そしてこの監督は人の好き嫌いがあり、それが選手起用に出ていると俺や他の選手が思っていたこと。

もうお分かりだろう。正直言うと、これは俺にとって大きな転機だと思った。監督が変わればその後は誰が監督をやるか分からないけど、今よりも試合に起用してもらえるチャンスが増えるのではないかと思ったから。正直言って監督がいなくなって残念だという気持ちは1%もなかった。この時期から俺は春の大会のことより最後の夏の大会のことだけを考えるようになった。何をすれば夏の大会に出場できるのか、そしてレギュラーになれるのかということを。
秋の大会が終わって1ヶ月、俺の肩のケガも治って全体練習にも復帰した。ここからまた頑張ってレギュラーを目指してさらに練習に臨んだ。しかし、この時期からシーズンオフになる12月までの練習試合の出場機会はほぼゼロ。もちろん他のライバルが試合に出れば俺は出ることはできない。しかし、ライバルとは実力にかけ離れた差はない。もう少し使ってくれてもいいんじゃないかとは前々から思っていたそんな時、ある部員にこう言われた。

お前、監督に嫌われてるんじゃないのか?と。俺も薄々は分かってはいたけどね。思い当たることは1つしかない。秋の大会の試合前のあの1件だろう。あの1件とは「秋の大会(2年生)」を読んでいただければお分かりになるだろう。周りの部員も大半はそう思っていたようだ。実はこの監督、前々から俺に限らず選手の好き嫌いが激しかった。俺はこの時点で最後の夏の大会でレギュラーを取ることは100%諦めた。そして、これだけが原因ではないけど野球部を辞めようと考えたこともあった。 でも、思いとどまった。やはり野球が好きだという気持ちが勝ったのだろうか。それとも途中で辞めることをプライドが許さなかったのだろうか。

そして、シーズンオフ。冬の練習だ。地道に自分の課題をひたすらこなし続けた。この努力が報われるかは分からないが、最後の冬。たとえ引退まで試合で使ってもらえなくても、どちらにしてもあと半年だ。自分のベストを尽くそうと思った。
俺が最上級生になって初めての公式戦。まだまだ完成には程遠いチームだけど、とにかく勝つしかない。まずは4校での総当たり戦。最初の試合は出番なし。まあ、ショートクビになってセカンドに移ったばかりだ。秋は出ること自体無理だと思っていた。そして2試合目。なんとセカンドで先発出場だ。出られないと思っていたので驚きつつもこれはチャンスだと思った。しかし、この日は俺に大きな問題が起こっていたのだ。

前日の試合前のシートノックで打球を右手人差し指に当ててしまって突き指しており、そのままボールを投げていたら肩を壊してしまっていたのだ。次の日になって痛みが出たのだ。おそらく指の痛みをかばって無意識のうちに変な投げ方をしていたのだろうとその時初めて気付いた。それでもチャンスなので何とか出ようとしたけど、試合前の練習をしている時についに腕が肩より上に上がらなくなってしまった。もう無理だと思い、監督に報告に行った。そしたら何でもっと早く言わないんだって怒られた。スタメンが決定した後に言ったので怒られるのも当然だけど、こっちもようやく訪れたチャンス。これを逃したらチャンスは先延ばしになってしまうという不安と葛藤していたので。その後、肩を治すのに1ヵ月ちょっとかかった。突き指自体は大したことはなかった。結局出場機会ゼロ

この総当たり戦はまあまあの成績だったけど、最後の試合で公立校の中ではある程度力のあるチームと対戦してものの見事にコールド負け。出られなかった自分が言うのもなんだけど、このくらいの公立校とは少なくとも接戦をしなければならないのにこういう結果になってしまったので、一気に自信喪失という感じになってしまった。
そして2回目の合宿。内容は前年と大体同じ。言うまでもなく1日野球漬け。それでも2回目なので少しは余裕があった。一年生の手前、みっともない姿を見せるわけにもいかないし。でもやっぱりバテてフラフラになった。やはり夏は辛い・・・。ついていくのがやっとだった一年生の頃とは違い、自分の課題もある程度分かっていたので、それを1つでも多くクリアできるように自分なりに考えて練習に取り組んだ。

俺の課題と言っても早い話が全部。守備はとにかく打球をしっかりグローブの中に入れてキャッチすること。バッティングはとにかくバットにボールを当てること。1年間高校野球をやってきてもこんな基本的なことすらクリアできなかった俺なのだ。原因は今思えばはっきりしている。

しっかりキャッチできずにはじいてばかりいた理由は打球を最後まで見ていないこと。寸前で目を打球から切ってしまうといわゆるカンで捕りにいっている状態になる。寸前までは見ているのでグローブを出す大体の位置は分かる。しかし、グローブに入った瞬間を見ていないということはキャッチしてグローブを閉じる瞬間もカンに頼ってしまっているということになるのだ。だから最後まで打球を見ることは大事なのだ。俺は送球を焦るばかりにこれがなかなか治らなかった。ついでに強い打球を怖がってしまうクセもあって、やはり同じことをしていた。捕球と送球は一連の流れでプレーすることがいい守備の動きなのだが、捕球する瞬間だけは時間が止まったような感じでしっかり確認しなければならないのだ。あくまで止まった様な感じ。実際はそれを素早くやらなければいけない。

それに加えて守備の動きが硬いというのもあった。原因はボールへの恐怖感と俺の身体能力だ。俺は守備に限らず野球をするうえでの動作が硬かったのだ。今考えてみれば、野球をするうえでの上手い身体の使い方が分かってなかったんだろうな。当時は一生懸命に動いていただけだったからよく分からなかったけど。それでも一刻も早く克服することに努めた。

そして、バットをボールに当てることすら困難だった理由はただ1つ、ダウンスイングになっていたから。上から叩けが合言葉だったうちのチームに洗脳されてしまったのだ。純粋に上から振り下ろすことが正しいと思い込んでいたのだ。正確には気持ち上から叩くということで実際はほぼレベルスイングなのだが、チームではフライを打ち上げる度に上から叩けと言われるので無理もない。他のコーナーでも書いたが、ダウンスイングをするとボールにバットが当たる確率が下がるのだ。実は俺は入学直後の左打ちを始めた頃、つまり何もクセがなかった頃が高校野球をやっていた中で一番バッティングが良かったのだ。これについては結局最後までダウンスイングのクセが抜けなかった。

それと、合宿には見たこともない知らないOBが手伝いに来たりした。手伝いに来てくれることはありがたいんだけど、必要以上に態度がデカいわ、すぐにキレてくるわでどうにもうっとうしかったな。監督が優しく感じたのはこの時くらいだ(笑)。個人ノックで動きが悪いと、文句言ってきてこういう風に動けよと見本を見せるのはいいけど、お前らは今まで動いてないんだから素早い動きができるのは当たり前だろって思った(笑)。俺がOBになって野球部のコーチをすることがあっても、絶対にこういうOBにはならないぞと誓ったのは言うまでもない。
夏の大会も終わり、3年生は引退。俺の学年が最上級生になった。チームはまた1からのスタート。そしてすぐ夏休みに入った。前年同様、辛い練習が待っている。これからは俺の学年が後輩を引っ張っていかないといけないんだなと思った。

夏の練習は1年生の頃とほぼ同じ。後輩ははじめての夏の練習なのでやはりリタイヤする者もいた。俺は辛いながらも2回目の夏で免疫もあるのでリタイヤすることはなかった。練習時間も前年より短く感じた。若干の心の余裕はできたのだろう。リタイヤなんかしていたら1年生に示しもつかないし。でも、他人のことを考える余裕はゼロ(笑)。自分のことで精一杯。後輩にカッコ悪いところは見せられないという気持ちでなんとか頑張れたのかな。

合宿も終わり、秋の大会が近づいてきた。それまでの期間に練習試合が数試合組まれている。ここでアピールしておかないと秋の大会で出場するのが難しくなる。だからとても大事だといえる。

俺はその数試合の練習試合はショートで出場。しかし、守備でミス連発。ゴロが捕れない、そして暴投。集中力も切れてしまって、外野からの返球を捕ることをを忘れたりなど散々だった。無理もない。練習とは打球が全然違う。代打は何度かあったけど、試合で守ったのは初めてだったからか、長く試合に出続けて集中力を持続させることの難しさをこの時初めて知った。ついでにまったくヒットも打てなかった。案の定、数試合後、試合でまったく使ってもらえなくなった。監督にはショートとセカンド両方練習するように言われた。ショートは他の人がコンバートされたのもあり、事実上のセカンドへのポジション変更を言い渡された格好となった。この先どうなるんだろうとさらに不安になった。
春の大会が終わると夏の大会までは最後の追い込みの時期。この期間になると個々の技術自体は大幅に伸びることはないので、大会本番に勝つための実践的な練習中心になる。当然ピリピリムードです(笑)。そして、大会の1ヵ月前くらいになるとミーティングが開かれてベンチ入りメンバーが発表される。1人ずつ呼ばれて背番号をもらう。背番号をもらうということは試合に出ることができるベンチ入りメンバーに入れるということ。都道府県によって少し違うが、18〜20人位だ。これに漏れると1年生の頃と同様、スタンドで応援することになる。

俺は自分でも予想していた通り、ベンチ入りはできなかった。練習試合すらほとんど使ってもらえなかったので。ベンチ入りして試合に出るに越したことはないけど、実力不足だから仕方ない。スタンドで応援をするのも立派な仕事。来年は頑張るぞと思いつつ、精一杯応援に徹した。

大会は3回勝ち上がったけど、前年と同様に私立の強豪校に負けた。我が校との大きな違いとして感じたことはまず守備がとてもよくまとまっていたこと。もう一つは長打力。ピッチャーの投球が少しでも高めに行ってしまうと逃さずに外野まで持っていかれてしまう。コールド負けだったので当然点差は大きかったけど、点差以上に力の差を感じた試合だった。私学の壁は厚いなと感じた。

試合後、ほぼ全員泣いていたけど、俺は涙なんて出なかったな。1年生の頃よりは自分のチームを身近に感じてはいたけど、やはり自分が試合に出てプレーしていないからなのだろうか。コールド負けだったというのもあるな。惜敗じゃないからね。中盤以降は諦めモードだったから。
冬の厳しい寒さも終わり、暖かくなってきていよいよ実践的な練習を再開した頃、春の大会が近づいてくる。春の大会は夏・秋の大会と違って甲子園大会とは直接は関係ない(夏の大会は夏の甲子園の予選、春の甲子園(センバツ)は秋の大会の成績上位から選ばれる。)。

しかし、この約3ヵ月後には夏の大会。そうすると必然的に本番前のリハーサル的なものになる。そういう意味もあり、決しておろそかにすることはできない。秋の大会同様、まず4校くらいで総当たり戦をする。そして、4分の1に絞ってから大会の本戦(トーナメント)というかたちになる。

そして、選手にとってもまた勝負。春の大会の出来次第ではレギュラーはその座を奪われることも十分にあり、補欠は逆にレギュラーを奪い取ることもある。夏の大会のベンチ入りメンバーもこの時期には決め始めなければいけないのでとても重要だ。もちろん春の大会が全てだというわけではないが。5月・6月の練習試合でも選手の評価が入れ替わることも十分にあり得る。夏の大会の直前までチャンスはあるし、逆に奪われることもあるのだ。この時期からは少ないチャンスで結果を出した選手が夏の大会でベンチ入り、そしてレギュラーになれるのだ。

俺は上級生はおろか同級生よりも能力が劣っていたので、出場機会ゼロ(笑)。一冬越えてもまだまだ欠点がほとんど改善されていない状況だったからなあ。そんなもんだから、どこと対戦したのか、勝ったのか、負けたのか全く覚えていません。自分が試合に出ないとあまり覚えていないものだよ。本当はそれじゃいけないんだけど(笑)。
冬の練習はいわゆる実践的な野球のプレーをしない。体力づくりの期間なので、いろいろなトレーニングをする。それと、野球の基本的な身体の動かし方の反復練習。 地味な日々が続く。

長距離走、短距離走、さらに坂道を走ったり、紐を巻きつけたタイヤを腰に巻いて、それを引きずって走ったり、普通の筋トレに加え、サーキットトレーニング(走りながら移動してその先でいろいろな種類の筋トレをする。)、素振り、ティーバッティング、個人ノック、ベースランニングなど一体誰が考えたんだか知らないけどありとあらゆるメニューをこなす。自分との戦いだ。夏は夏でキツいけど、冬は冬でやっぱりキツい。しかし、ここで頑張ると春に一気に実力が伸びる。俺は正直言ってキツい時は多少手を抜いてしまったこともあった。みんなもそうだろう。でも、自分なりによくやったと思う。
秋の大会とは言ってもまだ真夏。夏休みの終わりごろから始まるので。この大会は上級生が引退した後の初めての大会なので、新人戦とも呼ばれる。

県によって少し違うと思うが、最初は4校程度で総当たり戦をして、4分の1に絞る。そしてトーナメント(一発勝負。負けたら終わり。)。新人戦なのでまだチームとしてはスタートの段階。もちろんチームも未完成である。

しかし、トーナメントで上位に勝ち残り、さらに地方大会で上位に行くと甲子園の春の選抜大会の選考対象になる。やはり勝つに越したことはない。秋の大会のことについてはほとんど覚えていない。自分が試合に出ていないと正直あまり記憶に残らない。

俺はというと、まだまだ試合で使ってもらえるレベルではなかった。出場機会ゼロ。内野の守備を経験してからまだ1ヶ月。俺が監督でも怖くて使えるわけない(笑)。
入部して3ヶ月が経過するといよいよ夏の大会だ。とは言っても、我々1年生は上級生の練習とは別にひたすら基礎トレーニングを繰り返す日々だったので、あまり実感は沸かなかった。当然1年生全員ベンチ入りできるわけもなく、観客席で応援ということになった。

1回戦の当日、早朝から試合会場である球場に行った。結構遠い場所だったので行くだけで疲れた。応援するだけだしいいかと思った。1年生は応援をするために観客席に行った。ここでメガホンを持って、大声を出して応援するわけだ。そして試合が始まるまでまだ時間があったので、座って待っていた。

すると、試合が近づくにつれて観客がどんどん増えていくのにまず驚いた。地方大会の1回戦だから満員というわけではないけど。応援団やチアガールやブラスバンドの姿も見える。そしていよいよ試合が始まった。これが夏の大会の球場の雰囲気なのかという感じだった。

テレビでやっている甲子園の大会は見たことがあったけど、で高校野球の公式戦を見るのは初めてだったので。ブラスバンドの演奏に乗って、応援団が大声を張り上げ、チアガールが踊る。ただただすごいの一言。この応援の中で試合に出て活躍したいと心から思った。

それと、試合は2,3回勝ち進み、最後は私立の強豪校に惜敗した。負けたけど、いい試合だった。あともう一歩で私立を倒せるところまでいったんだが。改めて思い出すとこう感じた。この年のチームは俺が高校野球をやっていた3年間で一番戦力のあるチームだったと。あと、同じ高校生とはいうものの、私立の強豪校といわれる学校はやはり強い。何より体格がいい。遠目でも分かる。どんな練習してるんだ?と聞きたいくらいだ。
夏の大会が終わったので、3年生は引退。ここから2年生と我々1年生で1からスタートとなった。1年生はやっと本格的な実践練習をすることができるのだ。(それまではフリーバッティングすらほとんどさせてもらえなかった(涙)。)

そしてすぐ夏休み。学校は休みなので思う存分野球が出来る。まさに野球漬けの日々が始まった。グラウンドは他の部活と時間で分けて使用するという形だ。公立はどこもそんな感じだと思う。だから、午前のみ午後のみという感じでやりくりしていた(実際はもう少し細かく分けてやっていたと思うけど。)。

そして初めての夏練習。辛いに決まってる。それに何もかもが初めての経験だ。中学の頃とは比べ物にならないくらいの練習量だ。アップで死にそうになる(笑)。しかし、人間というものは同じことを繰り返しているとだんだん慣れてくるものだ。辛いことは辛いんだけど。

練習時間は4時間程度だったかな。夏休みで時間的に余裕があるので一つ一つのメニューが長い。合宿までは体力づくりを中心とした練習になる。合宿の後はすぐに秋の大会で実践的な練習が中心になるので今のうちにやらないといけないのだ。

8月になってようやく夏の暑い中での練習にも慣れてきた頃、いよいよ合宿だ。噂によるとかなり辛いらしい。炎天下で練習をするわけだから当たり前だけど、1日中練習だということが一番辛いのだ。3泊4日くらいの合宿だった。1日のスケジュールはこんな感じ。

朝は6時位だろうか。少し早起きして近くの広場でランニングと体操。基本的に朝練は意味がないものだと考えている俺にとっては、朝くらいゆっくり寝かせろと思った。その後、朝食。そして、グラウンドに行く。かなり距離があるので走って行く。この時点でもう半分燃え尽きてる。

そして、少し休憩してから練習開始。アップ・キャッチボール・トスの後はアメリカンノック(簡単に言うと、とにかく走りながらノックしたボールを走りながら捕る。)や個人ノック(ノッカーとマンツーマンなので休む暇がない。)。そして、数種類の距離のダッシュを合計40本。殺す気か?そして昼飯と休憩。飯が喉を通らん・・・。でも、食わないと午後の練習で身体が持たないので何とか食べる。

午後はフリーバッティングから。バッター以外は守備。この時間が一番暑い。打球が来ないと意識がだんだん遠のいてくる。その後、試合形式のノックやシートノックをやる。だいたいこんな感じ。メニューの種類は誰が考えたんだか分からないけど豊富で毎日少しづつ変わっていく。そして、涼しくなってきた夕方に練習終了で宿舎に帰る。行きと同じく走りで。もう足が上がりません。

帰ったら風呂と夕飯。その後ミーティング。部員1人1人が話すので無駄に長くて眠い眠い・・・。ノートに書かせてまとめて監督に提出するとか考えてくれ。人の話ってそんなに長く聞けないから。集中力が持たない。そしてやっと一日が終わったと思ったら、シメに夜の闇の中での素振り。200回くらいは振ったかな。腕が疲れて今にもバットを投げ飛ばしてしまいそうだ。周りの人も飛んできたら見えないので絶対避けられません(笑)。

結論、噂通りでした(笑)。
野球場といってもいろいろある。それは学校のグラウンドから市営や県営の球場までということ。グラウンドのレベルは本当にさまざまである。我が校のグラウンドは水はけが悪くて土の質も悪くてボコボコのグラウンドだった。他の高校に行くとたいていはうちよりいいグラウンドだった。私立の一部の高校は外野が人工芝のところもあった。その一方でマウンドがない高校もあった。これはさすがに驚いたな。球場でも草野球によく使う河川敷にあるようなところはあまり良くない。ボコボコだし、外野は芝じゃなくて雑草とか(笑)。その一方でナイター設備のある借りると高い球場はとても素晴らしい。総人工芝の球場も何度か経験した。

そうやっていろいろな球場で野球をして最初に驚いたことは人工芝の外野で遠投をしていた時、相手はワンバウンドまたはツーバウンドで俺に投げてくる。その時のバウンドしてからのスピードが落ちないということ。バウンドしてから加速して向かってくるように錯覚した。あれは怖かった。もう少しで顔面直撃するところだった(笑)。これは土に比べて芝だと摩擦係数が少ないからボールのスピードが落ちないのだ。雨で芝がぬれているとさらに早くなる。慣れないと本当に怖い。内野を守ると特に。

芝のメリットは何と言ってもイレギュラーが少ないこと。人工芝ならほぼない。デメリットは球足が速いこと。それによって内野も外野も間を抜かれる確率が高まる。ただ、野手の守備範囲内だと早く処理されてしまう。ダブルプレーも取りやすくなる。デメリットでもありメリットでもある
まず、この件で俺たちに怒ったこと自体はある意味正解かなと。夏の大会まであとわずかの時期。三年生はもちろん最後だし、この時期は何よりもケガが一番怖い。一方、一年生は整備に慣れてきた頃だし、気が緩むことも十分考えられる(俺たちはそんなことはなかったと思うけど。)。それに夏の大会を経験していないので、一年生には夏の大会の重要性にあまりピンと来ない部分もあったと思う。だからこの件をきっかけに俺たちに喝を入れるという意味で怒ったのならそれはありかなと。みんなで一体となって夏の大会に臨むんだということを意識させることができると思うから。

ただ、1つ言いたい。お前らのせいだぞと言われたことについて。とても印象に残った言葉だったからよく覚えている。これは指導する上では絶対に言ってはいけない言葉だと思う。どんなにしっかり整備しても土のグラウンドである以上、イレギュラーバウンドは絶対になくならない。だからこういうことを言われてしまうとどうしても納得できなくなってしまい、反省より反抗の気持ちが強くなってしまう。いい注意のしかたをすることでプラスに作用することだって社会において少なくないだろう。その後、グラウンド整備をより一生懸命やったのは言うまでもない。

それと、一年生の頃は毎日のようにやっていたグラウンド整備だが、当然他の一年生の部員と一緒になって協力してやっていた。もちろん俺も他の部員と同じように同じことをやっていたのだけど、どうやら同学年の一部の部員からは手を抜いていると思われていた。みんなで世間話している時に何気なく言われたことなんだけど。驚きと、どんな言いがかりだよ、心外だよという感想しかなかった。何を以って手抜きだと判断したのかも分からなかった。あまりにムカついたので何が悪いの?とか聞かなかったから。でも、言われた以上、それ以降はもちろん今まで以上に真剣にやった。でも、どうしても納得いかない。グラウンド整備についてはむしろ俺のほうが言いたいことがあったけど。
練習や試合でお世話になるグラウンド。使う前には必ずグラウンド整備をしなければならない。前日の練習で荒れてしまっているからだ。金属製の刃のついたスパイクを履いて野球をするので、動き回るとグラウンドがデコボコになってしまう。グラウンド整備は基本的に一年生の仕事。通常は30分くらいかかる。試合の日や雨が降った後でグラウンドの状態が悪い時はさらに念入りにやらなくてはいけないので1時間かかることもある。大変だけどしっかりやらないとケガにつながるので手は抜けない。

グラウンド整備についての出来事を1つ。俺が一年生の頃、当然ながら毎日のようにグラウンド整備をしていた。やっとグラウンド整備にも慣れてきた6月頃、我が校のグラウンドで練習試合があった。ところが、試合中に守備についている三年生が飛んできた打球を取ろうとしたところ、イレギュラーバウンド(グラウンドの状況によって規則的に弾んでいるボールのバウンドが急に不規則に変化すること)で高く跳ねてしまい、目の付近に当たってしまったのだ。しばらく練習ができないくらいのケガになってしまった。

試合後、俺たち一年生は二年生に呼び出された。その時点で何が言いたいかはだいたい分かった。もうすでに空気が普通じゃなかった(笑)。簡単に言うと、「お前らのせいだぞ、もっとしっかり整備しろ。」というようなことを言われた。俺は心の中では、「冗談じゃねえ、こっちだって一生懸命やってるんだ。」と思った。入部してから何かある度に注意され続けてきた末にこんなことを言われればおもしろくない。他の一年生も同じ気持ちだったに違いない。でも、後々考えてみるといろいろなことを思うようになった。
プロ野球でも少年野球でも野球といえば試合や練習で大きな声を出しながらやっているというのがよく分かるだろう。俺は先輩や同学年の部員の一部から練習中や試合中に声をもっと出せとよく言われた。野球をするうえでプレーに必要な声や他の部員のプレーへの声はもちろん出すわけだが、それ以外にも場を盛り上げるような声を出すことを強制され、それをしないことは悪だと決めつけられている環境だった。でも、俺はまったくそうは思わない。雰囲気を盛り上げるために声を出すことはいいことだ。でも、それはやりたい人だけがやればいいこと。どう考えても他人に声を出せと強制される筋合いはない。

俺は静かにプレーしたり、見たりするタイプなのである。極端に言えば黙ることによって集中するし、また、集中したい人間なのだ。自分にはこれが一番合っていたと今でも思う。そういうタイプの人だっていてもいいでしょう

これはある強豪私立校との対戦で感じたことだが、相手チームは意外と静かだったこと。ヤジがすごい高校もあったけど(笑)。俺は後輩にも一度もこのような声出しを強制したことはない。出したくなければ出さなくても構わない。人間いろいろ。そういう人もいるでしょう。
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